出雲大社へお参り
旅の続きを忘れないうちに書こうと思いながら、あっという間に4ヶ月余りが経ってしまいました。
京都に2泊した後、念願の出雲大社にお参りするため、伊丹空港から出雲空港に飛びました。空港で娘がレンタカーを借りてくれたので、足の不自由な私にとってはありがたいことでした。出雲大社にお参りする前に、大国主大神とタケミカズチの男神が国譲りの交渉をしたと言う稲佐の浜に立ち寄りました。旧暦10月10日に全国の神様をお迎えするのもこの浜だとか。ここの砂を取り、出雲大社に持っていくと言う風習に従いました。
出雲大社では社務所で車椅子を借りてもらったおかげで、見所の多い大社も何とか回ることができました。神話の世界と現代が違和感なく続いていることはとても不思議でした。大社の建築の美しさに感動したのはいうまでもありません。かの有名な大しめ縄は本殿とは少し離れたところにある神楽殿にありました。長さ13.6メートル、重さ5.2トンもあるそうで、5、6年に一回作り直すとのことです。
八雲本陣(木幡家住宅)
桜満開の出雲大社を後にして向かったのは重要文化財の木幡家住宅でした。
八雲本陣と呼ばれ歴代松江藩主が領内巡視の際の宿にされたそうです。大正天皇、昭和天皇も宿泊された由緒ある住宅です。実は吉田の義母と木幡家は親戚関係にあり、いつか訪れてみたいと思っていました。ところが残念ながら令和5年から改修工事中でした。運良く現場打ち合わせのために現場に見えていた木幡家の当主と主人・娘が話をする機会を得ることができました。工事はあと7年かかるとか。「完成したらまた来てください」と言っていただきましたが、果たして7年後に訪れることができるかどうか?
→しまね観光ナビ 八雲本陣(重要文化財 木幡家住宅)(公開再開は2030年3月予定)
「時間と手仕事」の贈り物—吉田善次郎設計の坂口合名ビル
翌日は米子に行きました。 吉田の家はもともと米子にありましたが、義父が建築を学びに東京に出てからは、ずっと東京です。義祖父の吉田善次郎は設計事務所を営んでいたそうです。その前三代は宮大工だったとか。主人の代では誰も建築を継ぎませんでしたが、たまたま私が中継ぎの六代目になり、甥が建築の道に進んだためお役御免になりました。
吉田善次郎をネットで調べると、設計した建物がまだ残っているということがわかりました。昭和6年に竣工した坂口合名ビルです。ぜひ尋ねたいと思い電話をすると「吉田善次郎さんのご家族ですか」といきなり名前を言われてびっくりしました。電話口の女性は、坂口合名会社の100年誌を編纂した方で、設計が吉田善次郎だということを知っていたそうです。お尋ねしたら、社長さんがご案内くださいました。社長さんと主人・娘が大学の同窓生であることがわかり話が弾みました。
残念ながら階段が登れない私は、2階にいくことはできませんでした。
古い建築が大好きな私は、吹き抜けになっている一階から2階を垣間見たことや、建設当初から使われている家具、そこここに見られる美しいディテールに心躍らせました。古い建物には独特のオーラがあります。私はそれを「時間と手仕事」の贈り物だと考えています。
観光旅行のつもりが、ここでも不思議な出会いに恵まれて、有意義な二日間でした。
(続く)