レポート”1964東京オリパラから それは始まった」- Design for Careの道 –”

2020年2月7日(金)に「第89回 東京 インターナショナル・ ギフト・ショー 春2020 第7回LIFE×DESIGN」にて、ケアリングデザインセミナーを開催いたしました。お集まりいただきました皆様、ありがとうございました。

代表理事 小野由記子と理事 吉田紗栄子が、1964年の東京パラリンピックを中心に日本のバリアフリーの変遷や個人の住まい、ケアデザインの重要性についてお話ししました。今回はそのセミナーの内容をレポートします。

”「1964東京オリパラから それは始まった」- Design for Careの道 –”

●1964年当時の日本のバリアフリー状況

1964年東京パラリンピック選手村でイタリア選手と

吉田紗栄子は、日本女子大学家政学部で建築を学んでいた1964年に、東京オリンピックで競技会場の英語通訳、東京パラリンピックではイタリア選手団の通訳ボランティアを務めました。代々木の選手村が、パラリンピック選手のために、階段の段差を板でスロープにするなど、急ごしらえでバリアフリーが施された現場を間近で見てきました。

参加した300名のパラリンピックアスリーツの内、日本人パラリンピック選手は50名。当時の日本社会はまだ、バリアフリーという概念すらない時代。障がい者も、病院・療養所や自宅に閉じこもり、社会に出て自力で生活することがままならない状況でした。

一方欧米の障害者は、病院からなるべくはやく退院させ、社会へ出て自立した生活を過ごすように考えられています。こうした社会通念の違いはもちろん、日本の住まいや街自体が、バリアフリーを考えていないことに気づかされます。しかし、1964年パラリンピック開催が、日本のバリアフリーのスタート地点だったのではないでしょうか。

●“住まいが変わると、くらしが変わる”

その後、建築家となり、バリアフリー住宅の第一人者として活躍する吉田。パラリンピック選手、クルマいすバスケットボール選手近藤秀夫氏と出会い、彼の住まいの新築住宅を3回、リフォームを2回、合計5回の設計を担当しました。

自分ひとりで何でもできる家、海外からのお客様をお迎えしやすい家、車いすがぶつかる心配のない家、その度に近藤氏の意向を反映した家が誕生しました。

住まいが変わると、くらしが変わります。住まいをととのえれば、障がいのある方もシニアも、自立して健やかに暮らすことができるのです。

●Design for Careの必要性

後半は、ケアリングデザインの最近の活動について、小野由記子からご紹介させていただきました。

昨年秋に西武池袋本店で開催して好評だった「くらしのデザイン展2019」、コンセプトを手がけたシニア向け分譲集合住宅「デュオセーヌ国分寺」の事例、五感の変化に応じた「光のリノベーション」事例などをご紹介しました。

2050年には、推定約1億人の日本人口のうち、50歳代以上が半数近くになると考えられています。また2040年には、単身世帯は約40%近くまで拡大して最大の世帯累計に!(経済産業省データによる)

Good Over 50’sのよりよい住まい方を考えていくことは、今後ますます求められていくはずです。

今後もケアリングデザインセミナーでは、Good Over 50’sとDesign for Careについてお話していきたいと思います。

 

吉田紗栄子とパラリンピックについては、以下の記事もあわせてお読みください。
笹川スポーツ財団HPに吉田紗栄子ロングインタビュー

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